第8章 レイヤの時代

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  新サンディエゴ国際空港の税関を出たアイリスト石黒助教授と霧崎助手に、鳳凰堂杉本第二制作部長が声をかける。
  「お疲れ様です。ゆれませんでしたか?」
  「快適なもんでしたよ」
  「今回はしばらくご滞在とか」
  「ええ、アイリストがロボットに襲われたニュースはお聞きかと思いますが、あの残党がまだ残っておるようで、国内は危険ではないかということでして。逃げ隠れするようで、お恥ずかしい限りなんですが」
  「まあ、身の安全が第一ですからね。ご滞在中は、私がいろいろとご案内しますよ。私も当分こちらですから」
  杉本部長、石黒のトランクを引きずりながら一行を道案内する。
  「アメリカは、どこへ行くのも車だったんですが、最近、このあたりは鉄道が整備されてまいりまして、ホーオーの開発センターも、新幹線で十五分ほどで行けます」
  「新幹線?」
  「ああ、パシフィックスーパーエキスプレスというんですが、JRの技術が入ってまして、日本人はみんな新幹線と呼んでいるんですよ。サンディエゴからロスまで三十分で行ってしまいます。ホーオーのあるサンクレメンテまでは十五分ほどです。このミラマー飛行場も凄いでしょう。昔のサンディエゴ国際空港が手狭になりまして、ミラマーの戦闘機訓練場を転用したんです。昔、トップガンという映画の舞台になったとこですよ。シンガポールのチャンギに対抗して、効率を追求してこさえてまして、利用者の評判も上々です。飛行場と新幹線のおかげで、ここからロスまでの一帯は、ハイテク工業地帯として急成長しておりまして、新幹線をシスコまで延ばそう、なんて計画もあるんですよ」
  ロビーのエスカレータを降りたところが新幹線の駅、杉本部長の用意したカードを石黒助教授と霧崎も受け取り、新幹線に乗る。

新幹線のサンクレメンテ駅は、旧市街から少し外れた位置に、新たに開発された町並みの中心に位置する。あたりを見渡すと、田舎風の駅舎に続く緑の多い並木道の両脇に、低層の商店やレストランがゆったりと建ち並んでいる。
  「この一帯がシリコンバレーに匹敵するハイテクゾーンだなんて、ここからみると、とても思えないでしょう」
  杉本部長、石黒助教授たちを商店の裏に導くと、そこは巨大な駐車場。杉本部長、石黒助教授を乗せ車を走らせると、すぐに高速道路に入る。
  「これは、ITパークエキスプレスウエー、反対にちょっと走ると五号線とのジャンクションがありまして、その先にはすばらしいビーチがあります。こっちに進むとITパークの中心を突っ切って行きます。ITパークも、昔は軍の訓練用地だったところで、軍備縮小により、ミラマーの飛行場と同時に、ハイテク団地に転用されたんです。森あり、山あり、ビーチありで、環境は抜群、ロスにもサンディエゴにも新幹線で十五分と、アクセスも非常に便利です。あ、そうそう、駅の反対側がホテル街でして、オーシャンビューのお部屋をお取りしておきました。ちょっとしたリゾートホテルですから、お寛ぎ頂けるんじゃないかと思いますよ」
  車はやがてインターチェンジを出て、一般道を進む。道の両側には、低層だが大きな建物がゆったりと連なる。やがて車は道路を右折し、ホーオー社の駐車場に入る。
  ホーオー社のビルはやはり二階建てのガラス張りのビルで、四隅が、太い柱のように、少し張り出した、白く塗られたコンクリートの壁になっている。その柱の一本に、「HO-OH」というロゴを、紺色の大きな文字で立体的に表示してある。杉本部長、この文字のある柱の横のドアを開けると、石黒助教授たちを招き入れる。
  入ったところは小さなロビー、カウンターの向うに座った、太った中年女性の受け付け係が杉本に「ハーイ」、と声をかける。
  受付で登録を済ませ、ロビーのソファーで少し待つと、長身の男が現れ、杉本部長に「ハイ」といいながら手を上げて挨拶する。杉本部長が短く石黒助教授と霧崎を紹介すると、男は「おお」といい、興味深げに石黒助教授を眺め、"Nice to meet you" と言いながら握手をする。石黒助教授も「ミーツー」という。霧崎も続いて挨拶する。ビルと名乗ったこの男、額は禿げ上がっているが、もみ上げからあごにかけてひげがもじゃもじゃと生えている。
  石黒助教授たちは、ビルに案内されて二階に上がる。外から見た柱の部分が階段、トイレになっており、メインの廊下は正方形のビルの対角線を通っている。メインの廊下の交差するビル中央は吹き抜けになっており、天井には、ガラスのピラミッド状の天窓が設けられている。下を見下ろすと、吹きぬけ部中央の植え込みを取り囲むソファーで、技術者が三名、瞑想に耽っている。
  「ピラミッドパワー」天窓を指差して杉本部長が笑いながら言う。「こういうハイテクやってる連中も、妙なところで迷信的でして。ジョークなのかもしれませんが」
  (ジョークなら、あいつら、サボっているわけだ。まあ、何か難しいことを考えているのか、外見からは見当もつかないが)と、杉本部長、続きは腹の中にしまう。技術者の勤務管理は頭痛の種である。
  石黒助教授たち、ミーティングルームに案内される。このミーティングルームも、相生研同様、壁に大きなディスプレーが設けられている。後の机には、飲み物やクッキーが用意されており、石黒助教授たちはしばしコーヒーをすすりながらメンバーが揃うのを待つ。
  「でかいクッキーですね」
  「これを食っちゃあ、フィットネスクラブに通ったり、ダイエットしたりするんだよ、ここの連中は」
  「初日からこれじゃあ、お疲れじゃないですか」
  「いや、よく眠っていますから、大丈夫ですよ。私はだいたい、徹夜で仕事をする方で、外界の明るさと睡眠は、同期がとれていないんですよ」
  「我々いつもこれでして、日本で午前いっぱい仕事をして、午後の便でこちらに来て、出発日の午後も目いっぱい仕事をするんですよ。それで、土曜出で帰ると、これだけ移動しているにもかかわらず、日本でじっとしていたときと同じだけの時間、勤務する計算になるんですね。信じられますか?」

  やがて、ミーティングのメンバーが揃う。ビルと自己紹介した男が、簡単な挨拶に続いて、ニューゲームコアアップデートというプレゼンテーションを始める。
  「ニューゲームコアの仕様は、複素数演算機能を持つスクエアCPUを千二十四ユニット、メモリーを六十四ギガバイト、高速光ファイバインターフェースを六チャンネル備えておりまして、ファイバチャネルの内四チャンネルがプロセッサボード相互接続用、一つがストレージエリアネットワーク、もう一つが汎用入出力となっています」
  「ファイバチャネルは増やしたんですか?」
  「最近、ストレージと汎用入出力は、特殊仕様がデファクトになりつつありまして」と、杉本部長。「四次元ネットワークというコンセプトも捨てたくはありませんでしたから、結局、増やすことにしました。インテックスは全部で四チャンネルなんですけどね。ちなみに、内部のCPUには五次元接続のパスを設けてあります」
  ビルのプレゼンが続く。
  「アプリケーションの第一は、シングルボードのエンターテイメントマシン。従来の鳳凰堂ゲームコアに比べて約十倍の速度が出せます。画像圧縮は、従来のゲームコアはハードウエアで持っていたんですが、計算速度の向上と、AIOSでの並列計算効率化により、ソフトウエア圧縮に切り替えることができまして、コストを大幅に削減しております。なお、圧縮には、石黒さんのおられるアイリストで開発されました、アキノ・アルゴリズムを採用しております」
  「アプリケーションの第二は、シングルボードのパソコン。インテックスの次世代プロセッサボードとの競合が予想されますが、基本部分で同等、これに加えて、複素数演算が強化されております。また、OSにAIOSを用いる場合は、インテックスのボードよりも相当に高いパフォーマンスが得られると考えています。ちなみに、インターフェースを合わせて、上位コンパチとしています」
  「インテックスの次世代ボード、スペックは発表になったんでしょうか?」
  石黒に聞かれた杉本部長も、答えを知らず、ビルに短く英語で聞く。
  「公式には発表になっていませんが、パソコンメーカなどの客先に暫定仕様の提示が行われておりまして、各社これに基づいて設計に入っておりますから、この暫定仕様で固まることは、ほぼ間違いないでしょう」とビル。
  「アプリケーションの第三は、マルチプロセッサボードのAIマシン。これは、十六枚のニューゲームコアからなるものでして、固定ディスクと光ディスクドライブと、各種インターフェースを備えたボックスで、ディスプレーを除く本体部分で四百ドル以下のリテールプライスを狙っています。用途は、エンターテイメントと事務処理の双方を考えています。このマシンは東京が本命とみなしているもので、ニューゲームコアのデザインは、このアプリケーションをターゲットに行っております。AIOSと自己増殖型並列思考プログラムを最も高速に走らせるデザインです。それでは、プロトタイプをご紹介します」
  一人の技術者が、布を被せた箱を机の上に置く。ビルがパソコンのキーを操作すると、ドラムの音が響く。ビル、芝居気たっぷりに、この布を持ち上げると、百科事典を少し細長くした程度の、薄いボックスが現れる。
  「この薄さにご注目下さい。これを可能としたのは、ユニークなデザイン……」
  再び、ドラムの音が響き、ビルはボックスのケースを開く。石黒、思わず立ちあがり、箱の中をのぞく。石黒の顔に笑みが生じたのは、意表をつく種明かしを見たため。ケースの中には、十六枚のボードを斜めに並べて、薄いケースに収まるようにしている。ボードの右端には薄型の光ディスクドライブとハードディスクドライブが重ねて置かれ、後側には細長い電源ユニットが置かれている。斜めのボードの左右に生じた三角形の隙間には、右側にカードスロットと赤外線インターフェース、左側に電源スイッチが設けられている。カードスロットの背面にはいくつかのコネクタもついている。
  「そして光学樹脂成形技術」
  三度目のドラムの音と共にビルが取り出したのは、透明な樹脂の板。中に銀色の金属線が何本か埋め込まれているのは、電源ラインか。
  「これは、光ファイバに代る導波路を構成しておりまして、これにそれぞれのボード、ドライブなどを挿し込むことで、四次元ネットワークシステムが構成されます。ボードの斜め挿しは、導波路の損失低下にも効果的です」
  「これは凄い技術ですなあ」光ファイバによるマルチプロセッサシステムの接続の大変さを身をもって知っている石黒、心底感心する。
  「杉本部長、補足事項はございませんでしょうか」とビル。
  杉本部長、カードを机の上に滑らせて、パソコンを操作していたエンジニアに送り、この中のファイルを表示させて説明する。
  「画面に出ておりますのが、前回試作したマルチプロセッサボードマシンで、古いゲームコア二百五十六枚で構成したものです。販売価格は三千ドル以上と見積もられまして、市場調査の結果、事業化を断念したものです。ただし、このマシンを用いたソフト開発は継続しておりまして、既に相当数のソフトウエアが準備してございます。今回計画致しましたマルチプロセッサボードマシンは、四百ドル以下と、従来のエンターテイメントマシン、ハイエンドゲームマシンやパソコンとほぼ同等の価格帯で販売できますので、機能の差を考えますと、十分に勝負になると考えております」
  杉本部長、話を続ける。
  「あと、ニューゲームコアの用途を二つほどご紹介しておきます。第四のアプリケーションは自律型ロボットでして、先日アイリストで事件を起こしましたロボットがこれです。制御部には、これまで、ゲームコアが十六枚使われておりましたが、ニューゲームコアを使いますと、これが一枚で制御可能となり、大幅なコストダウンになります。現在の計画では、機能アップも同時に行うこととして、二枚の標準実装で計画しております。スロットは十六枚分、そのまま残しますので、高機能が必要な場合は、ボードを増設して頂くという形になります。ちなみにロボット本体は、かごめ自動車が生産することになっておりまして、リテールプライス五千ドル、月産三十万台規模でスタートする計画です。用途は、家事と老人介護で、老人介護目的の購入には、政府の補助金が計画されております。AIのプログラムは鳳凰堂が担当しておりまして、医療用エキスパートシステムとしての認可を既に得ております。自動車の運転もできるよう、計画中ですが、これに関しては、まだ認可の見通しが立っておりません」
  「第五のアプリケーションは、先日、日本政府から発表のありました人工知性体用のハードウエアでして、既に政府からは八百万枚のご発注を頂いております。他に、アイリストからも八十万枚のご内示があり、政府のご発注も倍増する可能性があるということで、売上数量と致しましては、当面これが最大となる見込みです」
  話を聞いたエンジニアたち、手を広げて、あきれた、というポーズをする。技術者たちの不正確な見積もりでも、鳳凰堂が期待できる利益は莫大な数字になる。HO-OH社の技術者にも、相当なボーナスが出るはずだ。
  次に、キムと呼ばれたエンジニアがハードウエアロジックというプレゼンテーションを始める。
  「エンジニアリングプロトタイプは、ファームウエアとロジックの一部をプログラマブルゲートアレーで構成したもので、形状、特性とも、製品版と全く同一です。既に、アイリストから頂いたソースをコンパイルして焼き付け、正常動作を確認しております」
  キム、先程ビルが紹介したマルチプロセッサシステムを指差す。
  「これは、単なる形状模型ではなく、実物のマルチプロセッサボードAIマシンです。既に十台組み立てを完了しておりまして、完全な動作も確認済みです。シミュレータと実物では、微妙なタイミングにずれがある可能性もありますので、後ほど、石黒博士のご協力を頂いて、詳しく検討することを希望します」
  キムは続いて、ロジックの詳細について説明する。最後に、石黒助教授から送られた各種コードに、誤りが一つもなかったことに言及して、「ミラクル」と賞賛すると、石黒助教授が種明かしをする。
  「今回お送りしたコードは、人工知性体レイヤの協力を得て開発したもので、レイヤが稼動している計算機上でシミュレーションしてありますので、誤りの入る余地は極めて低いと考えております。従いまして、その文書からの変更は、十分に検討した上で行うようにしたいと思います」
  「こちらでの検討に、レイヤのサポートは期待できますか?」とキム。
  「はい、インターネットでも、電話でも、画像回線でも接続することができます。現在、レイヤの利用はアイリストと政府機関に限定されていますが、私も霧崎もアイリストの職員ですので、私か霧崎にいって頂ければ、すぐにレイヤの協力を得られるようにいたしますよ」
  「いま、ここで、レイヤと接続できますか?」とビル。
  「そうですね、テストということで、ちょっとやってみましょうか」
  プレゼンテーションシステムを扱っていた技術者が、ネットミーティングの設定を行い、石黒助教授がキーを操作してデルファイシステムに接続する。
  「もしもし、こちら石黒です」石黒助教授、日本語で話す。
  「はい、こちら秋野、どうされましたか?」
  「いま、ホーオー社でミーティング中なんですが、レイヤとの接続をデモしたいと思いまして」
  秋野助教授がキーを操作すると、ミーティングルームのディスプレーに彼女の顔が表示され、技術者の中から口笛がでる。
  「ハロー」秋野助教授が画面の中で手を振る。「えーと、そちらの方に説明しておいて頂きたいんですけど、デルファイはまだ一般利用は行ってませんので、石黒さんと霧崎さんに限定してアクセスして頂くということで宜しいでしょうか」
  「はい、もちろんそうします」
  「他の方にパスワード教えたりしちゃだめですよ」
  「そんなことしたって、どうせ、レイヤにばれてしまいますよ」
  「それもそうね。えーと、まさかそちらの人たち、私がレイヤだと思っているんじゃないでしょうね。ハロー、アイムアキノ。アドミニストレータオブ、デルファイアンドレイヤ」
  「シュア―」と技術者。軽口が二つ三つ出て、笑いが広がる。
  「じゃ、レイヤさん、石黒さんとお願いね」と、少し顔を赤らめた秋野助教授。どういう冗談が出たのか理解できていないが、自分のことを何か言ってるようだ、ということは理解できる。(セクシーとかなんとか言ってたみたいだけど、ま、いいか)
  石黒助教授の提案により、レイヤによる、AIOSとこれをサポートするハードウエアのプレゼンテーションが行われる。エンジニアたち、レイヤの説明を食い入るように聞き、質疑応答にも熱が入る。最後にビルが言う。
  「エクセレント」
  (日本政府は大変なものを手に入れた)
  その思いは、ミーティングルームに同席した全てのエンジニアが強く感じている。

  アイリストがロボットに襲撃されてから一月後の、七月二十日午前九時二十分。
  「お早うございまーす」
  守衛に挨拶して正門を通る秋野助教授。向うにみえるB棟は、建物本体は無事だったとみえて、改修工事が始まっている。A棟に入ると、玄関を入った左側でも工事がはじまっている。作業員の後で工事を見守る相生教授に、秋野助教授、
  「お早うございます。何が始まったんですか?」
  「石黒研究室ができるんだよ。石黒君は、反乱軍の残党があちこちにいる間は、できるだけ隠れていると言っておったが、今日は機械を見たいってことで、今、コンソールルームに来ておるよ。またすぐ向うに行くそうだが。久々にメンバー全員、そろったわけだ。目出度いことじゃないか」
  「ああ、そうだった。石黒さん、帰ってくるんだ。AIOSはもう、石黒さんの方にお任せしてよろしいですね」
  「もちろん、石黒君のやるべきことはそれだよ。AIOSは、今後、精力的にやるということで、霧崎君の他に、当分の間、坊谷にも応援してもらおうと考えとるんだが。ああ、それから、このプロジェクトは、JBBSに加えて、鳳凰堂が全面的にバックアップするということで、柳沢君もそっちだ。膨大なソフトをこの上で動かさんとならんからな。それから、ロボットも鳳凰堂がらみということで、石黒研に任そうと思っておる。だから、真田君と英二君も石黒研だな」
  「すると、相生研の職員は、私と先生だけですか。あと、綾子さん……随分と寂しくなりますね」
  「いーや、その逆だ。五条理事長と総理の太いパイプができちまって、アイリストも大幅に拡張するそうだ。デルファイも、国軍情報センターも、アイリストでみてほしいと頼まれておる。B棟の計算機は、坊谷君に再建計画を立ててもらっているんだが、これとデルファイと国軍情報センターとの間を、専用の高速通信回線で結んで、レイヤが自由に動き回れるようにしたい。石黒研究室は、当分、AIOSとロボットで手いっぱいだろうから、このシステムは秋野研究室でみるしかあるまい。これだけの設備だ、秋野、坊屋、綾子さんの三人ではとても手が回らんだろうから、職員も大幅に増員せにゃなるまい。国軍情報センターの技術者から、見所のありそうな奴を、石黒君が引っ張ってくるというから、君の方で鍛えてやってくれんかな」
  相生教授の話を一部しか聞いていない秋野助教授、驚いて聞き返す。
  「ええー? 秋野研究室って、私が?」
  「あ、そうそう、言ってなかったっけ? 君は教授だよ。おめでとう。で、五条理事長は綾子さんを助教授に付けたらどうかとも言われとるんだが、そりゃいくらなんでもと、お引止めして、さしあたり助手ということで手を打ったんだが、良かったかな? 実際、綾子さんは、学生というよりは、もう、立派な職員だ。なにせ、総理がレイヤに何から何まで相談するようになっちまったもんだから、今じゃあ、レイヤと綾子さんでこの国を動かしているようなもんだよ。科学技術の方面にも使いたいようなことを言っとるから、これは、忙しくなりますよ。人がいくらおっても足らんようだ」
  相生教授、ふと考える。
  (こういう状況は、普遍性という観点からすると、ちょいとおかしいような気もするが……まあ、いいじゃろう)

  コンソールルームに入る秋野助教授と相生教授。コンソールルームの中央部では、第三のコンソールの据え付け作業をしている。奥のコンソールでは、石黒と霧崎が坊谷の説明を聞いている。
  秋野助教授、悩みは尽きない。
  (ああ、コンソールが三つ、御守りしなきゃいけないコンピュータが三つになっちゃったんだ。ああ、B棟の機械と、会議室のとこの機械もあるから五つかぁ。B棟のコンピュータは燃えちゃったからソフトもやり直さなければいけないし、鳳凰堂のニューゲームコア使えば小さくなるんだけど、坊谷君は、大きさ同じで機能を上げるというんだろうなあ。どれほどのソフトを入れることか)
  秋野助教授、中央に据え付け中のコンソールの後の壁面を見て目を丸くする。
  以前そこは、小さな流しと電気ポットを備えた機能的なミニキッチンになっていたのだが、いま、これらが取り払われ、暖炉備え付け工事の真っ最中。暖炉の横には素朴な木のドアが取り付けられている。
  興味に駆られた秋野助教授、木のドアを開けると、そこはお馴染みのキッチン。だが、内装は、なんと、山小屋風に変っている。周囲の壁は白木の横張り、こげ茶の節目が美しい。コンソールルーム側の壁面には、こちら側にも暖炉がしつらえられ、その前には質素だが座り心地の良さそうなソファーが二つ据えられている。横の壁には左右とも大型ディスプレー、暖炉の反対側はカウンターの向うに各種調理器具、これはバーコーナーという趣向のようだ。
  「まったく、石黒さんたら、冗談なんだか本気なんだか」
  「こういうのを創造的開発環境というらしいんじゃが、君もそう思うかね」
  石黒の言葉をそのまま五条理事長に伝えた相生教授、インテリア業者があれよあれよというまに進めた改装の結果を見て、これは何か変だぞ、との感なきにしもあらず。しかし、年中行事の徹夜作業も随分と楽しいものになりそうで、この改装もそれほど悪くないんじゃなかろうか、とも思っている。
  一方の石黒、国軍情報センターの人工知性体創出が失敗に終わった原因は、ティーチャーの人柄によるものであったと悟り、レイヤの扱いは綾子たちに任せておくのが安全と、人工知性体にはあまり関わらず、開発テーマをAIOS一本に絞る計画。今度は、OS技術で諸外国と一戦交えようと、大いに張り切っている。
  鳳凰堂からは、既に、ゲームコアを十六枚搭載したマルチプロセッサボードマシンのプロトタイプモデルも何台かアイリストに持ちこまれ、AIOSも、種々のプログラムも快調に動作している。

  坊谷は、馬場教授と相談しながら、B棟計算機システムの再建を進めている。今度は、鳳凰堂のゲームコアを使い、CPU数にして、元の二十倍ほどの規模とする計画で、これだけでも人工知性体が誕生する計算なのだが、最初からデルファイと一体で運用し、医薬・生命科学分野への人工知性体応用の第一号となる予定。もちろん、英二の設計になるマイクロマシンを全面的に採用した、自動生命合成装置と連携し、レイヤ指導の元に自動実験がなされる計画だ。坊谷には、この設備が何を生み出すか、多少恐ろしい気もするが、それ以上に、好奇心に燃えている。

  英二と真田は、アイリストの脇を走るバイパスに、今まさに入らんとするところ。最近、KXUの開発でかごめ開発室にしょっちゅう呼び出され、その爆走がこの辺りの名物になっている英二たち、道路橋には見物人の姿もみえる。今日は、大型ロボットの開発会議ということで、真田の横には柳沢が座っており、真田はちょっと御機嫌が悪い。綾子を横に乗せた英二、足回りもエンジンも、真田並に改造を加え、今のところ、車の性能は真田と五分。やる気満々の英二、アクセルを踏み込んで真田に叫ぶ。
  「いっくぜー」

 


  
 
 
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