インターネットとコミュニティ


社会に二つのタイプがあるということは古くから指摘されている。古くはテンニエスが「ゲゼルシャフトとゲマインシャフト」で社会関係には、村落社会に代表される、自然発生的な全人格的人間関係に基づく社会と、企業組織のように、特定の目的のために契約関係によって結びついた社会に大別されると指摘している。

インターネットを介して形成される社会は、どのような社会なのであろうか?
社会関係の様相は、どのように形成されるのだろうか?
どのような社会が、そこに暮らす人々にとって幸福なのであろうか?

この文書では、コミュニティに関するいくつかの見解について議論することによって、ネット社会の相貌を浮かび上がらせると共に、今後のあるべき方向を探りたい。


リ ン ク
OCN に置いたホームページ
Infoseek に置いたホームページ
楽天に置いたホームページ&日記
掲示板 : 議論のための場所 (閑散 ^-^;)
メイル : 私への密やかな連絡用。ご意見、ご注文もどうぞ


本章では,電子的コミュニケーション上で対立を引き起こすと考えられる文化的,社会的特性について考 察を加える.以下で議論する社会的対立要素を,あらかじめまとめて,下表に示す.この表で は各項目を,伝統的インターネット文化と企業文化との,二つの文化類型に暫定的に対応付けて示した. しかし,これらは完全に対応しているわけではない.以下それぞれの対立要素について解説する.

対立の社会的背景
文化の類型集団主義的文化個人主義的文化
価値の重点協力と共有個人の利益
望ましい内容正確な情報他者への配慮
社会の指向性普遍社会仲間社会
開放性開放的閉鎖的
人間関係匿名的親密的
メディア特性保存性瞬時性
最大許容人口

1.商業文化とインターネットの伝統文化


2.普遍性指向と仲間社会指向
3.親密性と匿名性
4.コミュニティとよそ者
5.メディア特性の両義性
参考文献
Johnston等はインターネット文化の特性を考察し,商業的利用の浸透に伴い,旧来の集団主義的文化と, 新しい利用者の個人主義的文化との間に文化衝突が発生していることを指摘している[Johnston 99].

初期のインターネットは,主に学術関係者によって利用され,情報の共有と相互協力に価値が見出された [Lederberg 78].今日のネットニュースの前身である初期のUsenetもまた学術的環境の元に発展し, 情報の共有が前提とされ,著作権や所有権は重要視されなかった[Hauben 97].いずれのネットでも 商業利用は禁止された.これは,ネットワークが公共の資金によって維持されたことと,有用なメッセー ジがノイズ(宣伝)に埋まることが嫌われたことによる.

インターネットが社会の広い分野で利用されることは,早い時期から予想されていた[Licklider 78]. 1990年代に入ると,情報通信への民間企業の参入が進み,インターネットサービスプロバイダや商業的に 運営される電子掲示版(BBS)を利用する個人,私企業の利用が増大した.これらの参加者は支払った対価に 見合うサービスとして情報通信を捉え,個人の満足や利益の追求にこれを用いることを当然と考える.個 人の利益を重視する参加者と,共有と協力を重視する古くからの参加者の文化の違いは,両者が参加する コミュニケーションの場に対立を引き起こす原因となると考えられる.

2.普遍性指向と仲間社会指向


1.商業文化とインターネットの伝統文化
3.親密性と匿名性
4.コミュニティとよそ者
5.メディア特性の両義性
参考文献

電子的な情報伝達手段は,情報の公開を促進し,民主主義社会の重要なインフラストラクチャと期待され [White House 93,Hauben 97],新しい市民革命の可能性が見出されている[公文 96].一方,Maffesoliは現 代社会における「部族的」小集団(仲間社会)の拡大を論じ,電子的コミュニケーションの場をその一例に あげて以下のように述べる[Maffesoli 88].

更にその上,小集団[部族]への帰属感情がテクノロジーの発達によって強化されるようなこともある.
...
事実,《ケーブル[電信,電話など]》,さまざまな情報伝達(遊戯的,性的,機能的などの)は,さまざ まな形状とさまざまな目標を持った多くのグループがそこで出現し,強固なものとなり,やがて死ぬコミュ ニケーション的母型を,潜在的に作り出している.このようなグループは,かっての部族,あるいは村を 形成した氏族の古代的構造を想起させずにはおかない.
...
統計学的調査からも分かるように,次第次第に多くの人が《独身者》として生きるようになっているが, 孤独である solitaire ということは,孤立してisole [他から切り離されて]生きることを意味しない. やってくる時と場合に応じて ── とりわけ,ミニテルが差し出す情報のアナウンスのおかげで ── 《独身者》は,何らかのグループ,何らかの活動に統合される.このように多くの抜け道によって(ミニテ ルはその中の一つである),スポーツ,友好関係,性,宗教,その他の《小集団[部族]》が形成されるの である.それらのそれぞれが,その中心人物たちの打ち込み方[備給]の程度に応じて多様な,持続時間を 持つのである.

一方,インターネット上に形成された電子的コミュニケーションの場は万人に開かれている.Popper は 「部族社会」に優越する「開かれた社会」にも人々を孤独で不幸な状態にするとして,以下のように描写 する.その誇張された描写は,電子的コミュニケーションを介して成り立つ社会に極めて近い[Popper 50].

開かれた社会はその有機体的性格の喪失の結果として,次第に私が「抽象社会」と呼びたいものになるで あろう.それはかなりの程度まで,人間の具体的集団という性格,またこのような具体的諸集団からなる 組織という性格を失うであろう.めったに理解されることのなかったこの論点は,誇張の方法によって説 明できよう.われわれは,人々がほとんど対面することのないような社会 ── そこではすべての仕事が 隔離された諸個人によって遂行され,彼らはタイプされた手紙や電話で連絡し合い締め切った自動車で歩 き回るような社会 ── のことを想像できよう(人工受精を用いれば,繁殖さえも個人的要素なしに行えよ う).このような架空の社会は「完全に抽象的ないし非人格化された社会」と呼んでよいであろう.
...
現代社会では,親密な個人的接触を全然または極めてわずかしかもたず,名もなく孤独に,その結果とし て不幸に暮らしている人々が多数いる.というのも社会は抽象的なものになったが,人間の生物学的仕組 みはあまり変わらなかったからである.人間は開かれた世界では満たすことのできない社会的欲求を持っ ているのである.

電子的コミュニケーション上に,仲間社会を求めるか,普遍性追求の場とするかという議論は,ネットニュー ス上でも大きな議論を呼んでいる.これに対して,太田氏は以下の投稿の中で,規模の拡大により居心地 の良さを追求する場から情報の正確性を求める場に変質したことを指摘している.

From: ohta@ccm.CL.nec.co.jp (Mutsumi Ohta)
Newsgroups: fj.news.usage
Subject: Re: [** iso-2022-jp charset **] Re: 初心者です.
Date: 10 Nov 1997 12:00:40 GMT
Message-ID: <646t19$jep$1@jude.dsp.cl.nec.co.jp>
...
In article <63odms$t57@nntp.urban.or.jp>
                            "FM-user" <nao1@urban.ne.jp> writes:
...
>> 「つっけんどん」な返事を書くより「これこれはこうなんだ.だから
>> ○○なんだ」と初めから詳しく書いてあげて何か都合の悪い
>> ことでもあるのでしょうか?

いい加減,面倒臭くなったとゆーことはあるのかも知れませんですね.
もちろん,だからといって罵倒で済ましてイイとゆー訳でもないのですが.

>> #なんだか「反論してきたら技術的な知識で押し負かす」という人
>> #が多いように見える...

そりゃ,技術的に正確な情報で
「これは◯×だから△■を使うのは止めろ」
とゆーのが,一番分かりやすいですからねぇ.

まー,正確な情報提供がなされたからといって,
傷つけられたプライドは癒されませんでしょうから,
そちらの方面を期待するヒトには何の価値もないのかも知れませぬ.

でも,傷ついたヒトのカウンセラーでも友人でも無い,
通りすがりの一般投稿者にしてみれば,
「それは,技術論的にクロだとはっきりしているんだ」
と反論の余地なく投稿するのがイチバン楽な訳です.

>> 「厳しい口調」の返事を書いて相手が不愉快にならないという
>> 保証はあるのでしょう?すべて相手の理解に任せるのですか?
>> んで,理解してないお前は未熟だと罵るのですか?

まー,NetNewsはそーゆー場になっているよーですね〜.

>> 初めての人に厳しい口調で応じるよりも友好的に親切に応じる
>> ことにより新しい関係をふやしていく方がお互いに利益になる
>> と思うんですが.

これ以上新しい,ややこしい関係は増やしたくないと思っている
投稿者が増えているものと推察されるです.
「お前なんかと関係しても,うっとうしいだけで,こっちの利益にもなんね〜
よ」とゆーか.そのイミで優しくナイですね.

もっとも,「うっとうしい」と言いながら「憂さ晴らし」として
関係してらっしゃる方々が散見されるのも事実なのであります.

>> 反省するのは「ネットも人間関係」というのを理解してない人間が
>> することです.

ネットも人間関係なので,かなりささくれ立ってしまったよーです.
やっぱ,人数が多すぎると仲良しクラブ的にはいかんですね.
現実問題として,仲良しクラブを求めるならば,小人数のコミュニティー
を求めたほーがいーです.
...

社会の規模拡大に伴う人間関係の変化は,村落的人間関係から都市的人間関係への変化とも相通じる.例 えば,Wirth は都市の生活様式の特徴を次のように述べる[Wirth 38].これは Popper の「抽象社会」と良く対応す る.

単一の集団には個人の専心的な忠誠はない.彼の所属する集団は容易に単一の階層配置には適応しない. 社会生活のいろいろの側面から発生するいろいろの利害によって,人びとはひろい範囲にわたって分化し ている諸集団に所属しており,そのおのおのの集団はかれらのパーソナリティの一部分に関係してのみ機 能する.そして,これらの集団は,村落コミュニティないし未開社会によくみられるような,ヨリ包括的 な集団がヨリ狭小な集団をその配下におくための集中的配置を簡単には許さないのである.むしろ人びと の所属する諸集団は典型的には相互にわずかに関係しあうか,あるいはまったく不安定な方法で交錯して いる.
...
都市生活様式の明確な性格は,社会学的には,第一次的接触と第二次的接触との交替,親族の 紐帯の弱化,家族の社会的意義の減少,近隣の消失,および社会連帯の伝統的基盤の崩壊にある,とこれ までしばしばいわれている.
...
一個人としては事実上無能であるという段階に落されるから,都会人は 同じような利害をもつ他人とむすんで自己の目的を遂げるための集団を結成するよう努力せざるをえない. 人間のもつ欲求や利害と同じ程度に,多種多様な目標をかかげる自発的組織がおびただしく繁殖する原因 はこれである.
...
都会人は多くの場合自発的集団の活動を通して自分のパーソナリティを表現し・発展 させ,地位をかくとくし,人生の経歴となる活動分野を決めることができる.しかしこれらの高度に分化 した諸機能が原因となって生じる組織的な枠組はそれ自体,パーソナリティ (その関心はこの枠組のなか に入る) の統一性と統合性の保証とはならないことは,容易に推量されよう.個人解体,精神障害,自殺, 非行,犯罪,背徳,無秩序などは,この事情のもとでは村落コミュニティ以上に普遍的であるとみてよい.

先の太田氏の指摘は,ネットニュースの規模拡大に伴い「仲良しクラブ」的関係は困難になったとしてい る.また,Popper,Wirth 等も同様に指摘している.しかし,Maffesoli の描く《小集団[部族]》が, ネットニュースのさまざまなニュースグループに生まれていることもまた事実である.

一般に,趣味の範疇に属する話題を扱うニュースグループにおいては暖かみのある人間関係を追求する傾 向が高く,技術(典型的には計算機に関連した技術)を扱うニュースグループにおいては情報の正確さを求 める傾向が高い.また,ネットニュースの運営に関連したニュースグループでは,普遍性を追求する傾向 が高い.しかし,趣味の話題を扱うニュースグループであっても情報の正確性は要求され,すべてのニュー スグループで暖かみのあるメッセージを求める投稿がなされている.

各々のコミュニケーションの場がいかなる指向性を持つ場であるかは,一定の期間にわたってその場に表 れた他人の記事を読むことによって把握することができよう.しかし,ネットニュースに初めて投稿する 人々が,すべて,場の特性を充分に把握してから投稿しているとは思われない.電子的コミュニケーショ ン手段は,ニュースグループの違いはもちろん,電子メイルもウエブも,あるいはプロバイダの提供する 閉鎖的な掲示板であっても,利用者が直接に触れるものは同じパーソナルコンピュータであり,それぞれ の場にアクセスするソフトウエアも極めて類似しており,コミュニケーションの場に深く入り込むまでは, 参加者にコミュニケーションの場の特性の違いを認識させることは難しい.

いずれにせよ,開かれた社会と部族的社会は相反する社会関係であり,電子的情報伝達手段に対する認識 の交錯は,その上のコミュニケーションの場における対立の原因となりえる.

3.親密性と匿名性


1.商業文化とインターネットの伝統文化
2.普遍性指向と仲間社会指向
4.コミュニティとよそ者
5.メディア特性の両義性
参考文献

親密的人間関係と匿名的人間関係という二分法[Vaitkus 91]は,コミュニケーションの形態を規定す る一つの切口と考えられる.Schutz は(例えば「鉄道員」と「乗客」というような)類型化された他者との 関係を,親密な「汝指向」に対して,「彼等関係」と呼び,後者の関係を匿名的であると呼ぶ [Schutz 70].このような匿名的な関係においては,親密な関係にある場合とは異なった,より抽象化 されたコミュニケーションが要求される.

しかし Schutz は同時に以下のように述べる[Schutz 70].

もちろん,相手に会いに行ったり電話をかけたりすることはできる.だが,その場合には,私は彼等関係 ではなく,対面状況に入ってしまっている.事実,比較的匿名性の程度の低い彼等関係は,さまざまな中 間段階を経ることによって対面状況に変えることができる.

電子的コミュニケーションは,大抵の場合,双方向のコミュニケーションを可能とする.ネットニュース は,他人の記事にフォローして,反論したり,意味を確認したりすることができる.また,ウエブも,多 くは,ページ内に読者の意見をメイルによって受け付ける配慮がなされている.電子的コミュニケーショ ンのもう一つの代表的コミュニケーション手段である電子メイルは,最初から汝指向である.電子的コミュ ニケーションは匿名的な人間関係をつくり出すとしても,その匿名性は強固なものではなく,比較的容易 に解消されるものと思われる.

規模の拡大によって生まれた都市的人間関係は,統合された人格をもつ個人間の関係が困難であることか ら,人格の一面に過ぎない,特定の機能を接点とする匿名的な人間関係によって営まれ,個人の生活世界 から切り離された普遍的規約と論理に基づく抽象的コミュニケーションを要求する[Suzuki86].匿名 的人間関係は,開放的で公正な社会を実現し,全ての人々に機会を開く一方で,親密な人間関係を希 薄にし,パーソナリティの統一性を脅かす[Wirth38, Popper50].また,社会の画一化,普遍化を伴う 大衆社会の拡大は,アイデンティティの危機の原因と考えられている[Riesman50, 豊泉 97].

親密な人間関係の喪失に伴う病理現象への対処として,コミュニティの再生が期待されている.

コミュニティという言葉は,村落的共同体から,ほとんどすべての社会組織に至るまでの,さまざまな概 念で用いられている.この論文では,MacIver のコミュニティ感情(我々意識,役割意識,依存意識)を持 つ人々が作り上げた場という定義[松原 78]に近い,近接性,依存関係,役割意識の三要件によっ て結びつけられた人々の集まりと定義する.

第一の要件である近接性は,Wirth の「地域性」,MacIver の「我々意識」に対応するものであって,親 密な人間関係と限定された構成メンバーからなる集団を意味する.コミュニティは,親密な人間関係と, 自分が集団において果たす独特の役割を意識することで,構成員自らのパーソナリティを(他人の目を通し て)再確認し,アイデンティティを確立させる効果を持つ.

神谷等は期待されるコミュニティの類型として,政治参加の一形態としての自治的コミュニティ,他者と のふれあいを深める親交的コミュニティ,趣味・教養の充足を目的とする消費的コミュニティをあげ,コ ミュニティ形成の主体は住民であり,行政は場を提供する等の補助的な役割を果たすべきと説く [神谷 97].電子的コミュニケーションにおいては,その誕生の初期からコミュニティが自然発生し ており,その類型も,接続規約や運営を議論する自治的性格の高いものから,学術や趣味に関わる議論の 場まで幅広いことが報告されている[Sproull 92, Lederberg78, 木村 97].たとえば,Sproull は,こ の状況を次のように描写している[Sproull 92].

ARPAnetで電子メールが利用可能になると,全国のコンピュータ科学者たちが,システム・デザインやプロ グラムのバグや映画批評といったさまざまなトピックスについて,気が向いたときすぐ意見を交換すると いったことが流行するようになった.大学教授や大学生,大学院生たちは,電子メールを用いて興味ある 問題を公表したり能力を披露して,それぞれの居場所にかかわらずだれかの役に立ったり協力しあうこと ができた.こうした人々のなかには,特定の組織に属さず自由な立場で行動した人たちもいた.科学者た ちは住んでいる場所に関係なく共通の関心にもとづいて仲間を選ぶことができるようになった [Lederberg78].巨大な電子の村が形成され,そこにはお互いに会ったこともない仲間や協力者でいっ ぱいになった.私たちは,現在,コンピュータによるコミュニケーションを盛んに行っている組織の中に 同じような電子コミュニティーが形成されはじめているのを知っている.

これらの場への参加組織の干渉はほとんど行われておらず,参加組織の役割は通信手段の提供に止まって いる.このような接続形態も,健全なコミュニティの形成に影響を与えたものと思われる.

コミュニティ形成を目的とした電子的コミュニケーションの利用も行われている[木村 97].

電子的コミュニケーション技術は,分離された数多くの議論の場を容易につくり出すことができるという 特徴をもち,規模の制御と対象分野の絞り込みがなされ,より親密性の高いコミュニケーションが可能に なるものと推察される.各々の場における抽象性の程度は,任意に設定可能であり,その機能と規模によっ て使い分けがなされよう.すなわち,自治や学術に関わる議論においては普遍性の高い議論が要求される 一方,趣味的話題を扱う場においてはより個人の感性が重視される.しかしながら,これらの区分は明確 になされるものではない.ある種の人々は趣味に属する話題も普遍的に議論する一方,学術的話題もある 人々には個人的興味に属し,また,政策決定への個人的嫌悪感の反映も一律に否定されるものではない. 議論に要求される普遍性の程度は,話題に応じて微妙に異なるものと思われ,その認識が参加者相互で異 なる場合には,対立が発生する可能性がある.

4.コミュニティとよそ者


1.商業文化とインターネットの伝統文化
2.普遍性指向と仲間社会指向
3.親密性と匿名性
5.メディア特性の両義性
参考文献

規模の大きいコミュニケーションの場は,必然的に匿名的傾向を強め,抽象性の高いコミュニケーション が要求され,新参者を拒まない開かれた場となる.このような場全体は,もはやコミュニティとは呼びが たい.すなわち,情報の正確性追求に主眼がおかれてメッセージが交わされ,参加者の個人的事情や個性 を反映したメッセージは抑制される.しかしながら,このような場でもなお,コミュニティと呼ぶべき側 面も認められる.すなわち,各々のニュースグループが扱う特定分野に詳しい特定の人々は,個人的事情 をほとんど含めずに正確性を重んじた情報(たとえば,技術情報)を頻繁に発信している.その内容は抽象性が 高いにも関わらず,発信者はその得意分野における専門家としての個性を認められている.このような人々 は,ある種のコミュニティを形成していると考えられる.

ネットニュース上でしばしば議論を引き起こすのは,新しく参加した人々から出されるクレームである. ネットニュースは開かれた社会であり,誰でも参加することができる.しかしながら,その社会に長年属 した人々は,文化,風習を共有しており,このパターンを習得した人々の中に新たに参加するものは,よ そ者としての立場に自らをおくことになる.このコミュニティの文化・規範になじまない新参者は,戸惑 いと,ある場合には共同体の成員からの敵対的扱いを受ける.このメカニズムは以下の引用の中にも説明 されている[Schutz 70].

一つの文化パターンの内で育ったものにとっては,処方箋やその効力だけでなく,彼等がとる類型的匿名 的な態度も,疑いようのない「自明な事柄」であり,安心と保証を彼等に与えるものである.
...
だが,他集団に接触するよそものにとっては,接触集団のパターンは右のような好結果をもたらす客観的なチャ ンスを与えるものではなく,一歩一歩チェックする必要のある単なる主観的な見込みにすぎない.
...
よそものにとっては,接触集団の行為者とは,何らかの予想された匿名的存在,つまり類型的機能を果すも の ── 内集団の成員にとってはそうなのだが ── ではなく,個人的な存在なのである.一方,個人的 な特徴にすぎないものを,かれは類似的なものと考えがちである.

... いいかえるなら,よそものにとって接触集団の文化パターンとは避難所ではなく,冒険の場である. つまり,自明な事柄ではなく,探求されるべき疑問領域であり,問題状況をときほぐすための用具などで はなく,乗り越えがたい問題状況そのものなのである.

こうした事実から,集団に対するよそものの態度が持つ二つの基本的な特性,つまり,(1)よそものが持つ 客観性,および (2)かれの判然としない忠誠心,を説明することができる.これらは,よそものの問題を 取り扱ってきたほとんどの社会学者が特別の注意を払ってきたものである.

このような問題は,異人論という一分野を社会学の中に形成している.ここでいう「異人」とは,一般的 には集団 (コミュニティ) の外部の人であり,辞書的には,集団の内部にあって規範から外れる人,もし くは,外部から新たに集団を訪れる人を指す.赤坂憲雄は,異人のための場所として,コミュニティ (村) の外部に広がるブッシュ,原生林,荒野などの「名前のない場所」をあげ,村人に対する匪賊を異人の例 に挙げる[赤坂 85].

平賀譲 (図書館情報大学) は,1997年7月12日に情報処理学会 HI研究会で行なわれたミニ・シンポジウム 「インターネットにおけるコミュニケーションはそこに集まる人々にとってどのような意味を持つのか」 において,インターネットが個性確立の場に利用されているという発言を受けて,以下の興味深い発言を 行っている[松井 97].

インターネット原住民 (アボリジニ) はどこへいったのか.あるいはインターネット原住民に愛の手を. 自己情報には関心がない古くからのインターネットユーザもいるが,インターネットの普及によってそう でない利用者にとりかこまれてしまった感がある.しかし,実際にインターネットの中にある情報の中に は自分化とは関係のないものも多いのではないか.また,インターネットにおける技術的革新は原住民が 担ってきたのである.インターネットについて考えるときにそうした層を除いてはいけない.
インターネットを作り上げてきた人々は,インターネットが一般の人々に使われるようになると,開墾が 進んで村の住民に追われるアボリジニと同様の立場におかれている.この比喩的状況において,開かれた 社会としてのインターネットは村々の間に広がる荒野であり,一方の村社会は,BBSやイントラネットに代 表される企業組織の閉じた社会である.村人達が大挙して荒野に進出したため,荒野の原住民は住む場所 を失いつつある,というのが平賀の指摘である.

荒野の人々もまたある種の社会を構成する.異人のコミュニティから見れば,村人は異人である.そして, インターネットやネットニュースなどの開かれた場は,村落的コミュニティよりも,異人のコミュニティ に近いという性質を持つ.インターネットの成り立ちを考えると,実は村と村との間に広がる荒野の部分 こそインターネットの本質であるといえる.すなわち,インターネットはそもそも様々な組織 (村) 同士 を接続してなるネットワークであり,異なる共同体の相互の関係こそがインターネットの本質であるとい える.インターネットは他所者に出会う場所であり,異人間のコミュニケーションがインターネットのコ ミュニケーションの本質であるともいえる.

興味深い点は,ネットニュースに見られる古くからの参加者と新参者の対立の図式が,異人論における閉 じた共同体とその外部の異人の対立であるのと,ちょうど逆の構図となっていることである.すなわち, 古くからの参加者が普遍的な価値を追求するのに対し,新参者はBBSや企業という,自らが過去に属してい たコミュニティの一員としての意識を強く持ち続ける.荒野に迷い出た村人を原野の住民が異人として扱 うように,開かれた社会の住民が,閉じた社会の発想に従う新参者に対立しているのである.

異人の社会という視点は,都市に対しても用いられている.たとえば Lyon は以下のように述べる.

ボードレールの著名な表現である「遊歩者」は,モダニティの精髄を吸引しながら首都の街路を放浪し, 商店街を通り過ぎていく.移ろいやすく瞬間的で皮相的なものを認知することは,モダニティに関するす べてを把握するために支払われる代償である.ジンメルによれば,遊歩者は匿名であればこそ,モダニティ を知りつくしているのである.彼らこそ,異人たちのなかの異人である.

都市において,人々は村落的コミュニティと訣別し,匿名的な人間関係を余儀なくされる.同様な関係が, 電子的コミュニケーションの場においても要請されることは既に述べた.ただし,Lyon のいう異人が,コ ミュニティに属さない人々を意味するのに対し,この論文でいう異人は,コミュニティに束縛されず,普 遍的価値を追求する人々を指す.

Riesman は,人々の性格構造を次の三つに分類する[Riesman 50].

  • 適応型: 他人指向型の人間.近年増加しているが,性格的類似性の高い社会は脆弱である.
  • アノミー: 不適応型.
  • 自律型: 自らの内部的基準に従って行動するタイプ
適応型の人々が,コミュニティの文化に束縛される傾向が高いのに対し,自律型の人々は,他者と異なる 見解を持ち,社会の形成にあたっては討議により普遍的コンセンサスを追求する.今日の世界においては, たとえば Lyotard が指摘するように,社会の複雑な問題についてコンセンサスに至ることは困難であろう [Lyotard 79].しかしながら,インターネットが可能となったのは,共通の接続規約が合意されてい るからであって,実現可能性を重視した比較的単純なコンセンサスであれば,現在でもなお可能であると 考えられる.先にあげた平賀の表現する「インターネット・アボリジニ」は,まさにそのようなコンセン サスを作り上げた,自律型の人達と考えられる.

ネットニュースは,参加者の移動が激しく,新参者を巡る議論は頻繁になされる.しかしながら,議論を 進めるに従い,新参者も多数のメッセージを発信し,コミュニティの一員としてのアイデンティティを確 立する.新参者の引き起こす議論は,新参者そのものではなく,新参者の持ち込む文化の評価を中心に行 われている.そしてその論点は,多くの場合,普遍的な価値を尊重する古くからの参加者に対し,暖かみ のある人間関係により高い価値を見出す新参者が対立するという,文化的対立に移行している.

5.メディア特性の両義性


1.商業文化とインターネットの伝統文化
2.普遍性指向と仲間社会指向
3.親密性と匿名性
4.コミュニティとよそ者
参考文献

McLuhan のメディア論[McLuhan 64]は,メディアを通して送られるメッセージの受け手に与えるイン パクトの差に関心がおかれ,情報量(精細度)を基準とするホットメディアとクールメディアという分類で 知られている.しかし,社会関係に対する影響としては,「部族性」という観点からのメディアの解析が 注目される.例えばラジオは部族の道具としての性質を持つとして,以下のように述べている.

ラジオは執筆者,あるいは話し手と聴き手との間に無言のコミュニケーションの世界を作ることによって, 多くの人々に身近な,一対一で向かい合っている時のような効果を与える.これはラジオの直接的な側面 である.つまり,個人的な経験をする,ということである.潜在意識の深層に働きかけるというラジオの 性格は,部族の角笛や古代の太鼓の響きと本質的には同じである.これは人間の心と社会を一つの感動の 渦に投げ込む力を持つラジオというものに本質的に備わっているものなのである.

このように,「ラジオの部族的魔術」,「ラジオという部族の太鼓」に言及した後で,ティーンエイジャー の部族的結合の絆としてラジオというコミュニケーション手段が機能していることを述べる.

部族的社会から脱した文字文化的西欧は,ラジオの部族的魔術に永久に免疫になったと考えているのであ ろうか.1950 年代のティーンエイジャーには,多くの部族的特徴が出てきている.ティーンエイジャー とは反対に,青年は今では文字文化的現象として区分される.
......
今やティーンエイジャーにとって, ラジオはプライバシーを与えてくれるものであり,それと同時に,共同市場の世界や歌と共鳴の世界の緊 密な部族的結合の絆である.

部族的社会をもたらすラジオに対照的なメディアとして,彼は「印刷された言葉」をあげ,以下のように 述べる.

われわれの精神生活の中で,印刷された言葉がもつ細分化の力,分析の力は,われわれに「感覚の分裂」 [T.S.エリオットの言葉] をもたらしたのである.この「感覚の分裂」は,セザンヌやボードレール以後の 芸術と文学において,嗜好と知識のあらゆる改革のプログラムの中でまず排除すべきものとされてきたも のである.「内部の拡散」を特色とする電気時代では,思考と感情の分裂は,学校や大学における知識の 専門分化主義と同様に奇妙なものに思われてきている.しかしこの力こそが,個人的および社会的生活に おいて緊密な家族的きずなをもった部族世界から,文字文化の人間を解き放し,思考と感情を分離し,反 応 (リアクション) なしに行為 (アクション) することを可能にした力だったのである.

McLuhan のメディア論の中核をなすホット/クールというメディアの分類に従えば,ラジオと印刷された 言葉は,共に,ホットメディアに分類される.しかし,部族性への影響に関しては,彼はラジオと印刷さ れた言葉に対照的な性格を認め,前者が部族性を鼓舞するメディアであるのに対し,後者は部族性を破壊 するメディアであると説く.

部族性に対するこのような違いは,メディアが感性と知性のいずれに働きかける傾向が強いかという点に 依存すると考えられる.すなわち,瞬時に伝達されるメディアは熟慮の対象となりにくく感性に働きかけ る傾向が高い一方,保存性の高いメディアは,長期にわたって批判の対象となることが想定されるため, 発信に際しては推敲がなされ,受信者の知性に働きかける傾向が高い.その結果,瞬時に伝達されるメディ アには普遍性の低いメッセージが,長期にわたって保存されるメディアは普遍性の高いメッセージが,多 く現われるようになる.そして,前者の特性を持つメディアは部族性の高い仲間社会を作り出し,後者は 開かれた市民社会を作り出すと考えられる.

Virilio は,テレビに始まる電子的コミュニケーション技術の危険性を主張し,「ヴァーチャルな空間の 問題の背後に検討すべくひそんでいる問題は,現実的な都市の喪失である」として,インターネットによ る「脱都市化」を指摘する一方,次のようにも語っている[Virilio96].

リアル・タイムの横暴は古典的な専制政治とあまりかけ離れてはいません.なぜなら,そこには,反射的 な行動を誘って市民の反省をなし崩しにしようとする傾向があるからです.民主主義は連帯的です.それ は孤独ではありません.そして人間は,行動する前に反省する必要があります.
...
民主主義はその時間性において脅かされます.というのも,判断が期待されることがなくなる傾向にある からです.民主主義とは,集団的にとられる決定を待つことです.生の民主主義,自動的な民主主義は, 反射的行動のためにそのような反省をなしくずしにしてしまいます.... 視聴率と世論調査が選挙となり ます.世論調査,それは明日の選挙であり,それはヴァーチャル都市にとってのヴァーチャル民主主義と いうわけです.

Virilio の指摘は,電子的コミュニケーション手段(この場合はテレビも含む)が,人々の熟考を阻害し, 瞬時の感性に従って行動するよう促し,部族性の高い社会を作り上げるということである.しかし同時に, Virilio は,「救いは,書くことと言語活動から私たちにやって来るでしょう」と述べ,文字によるコミュ ニケーションが,リアルタイムでのコミュニケーションを可能にする技術によって引き起こされる,民主 主義の破壊を防ぐ役割を果たすと述べる.

ところで,電子メイルやネットニュースは文字によるコミュニケーション手段であり,画像や音声の利用 も可能なウエブにおいても,文字で表現されたメッセージが大きな割合を占めている.電子的コミュニケー ション手段によって伝達される文書であっても,論文や公式文書のような,熟慮の末に作成された文書で あれば,印刷物と同様の機能を果たすであろう.問題は,同じ場所に,熟慮の結果とはいえない,瞬時の感 情的反応によって発せられるメッセージも混在している点である.

電子的なコミュニケーションは,ラジオと同様の瞬時に伝送される特性と,印刷された言葉と同様の長期 にわたって保存される特性をあわせもつ.この二つの相反する性格は,メッセージの普遍性に関する両極 端の印象を利用者に与える.電子的コミュニケーションのもつ二つの性質のいずれが発現するかは,それ ぞれの参加者の意識に依存する.ある参加者は瞬時の感性に基づいてメッセージを発信し,他者のメッセー ジを感覚的に受け止め,別の参加者は充分な推敲の元にメッセージを発信し,他者のメッセージを熟読し た上で判断を下すであろう.それぞれのコミュニケーションの場で,参加者がメディア特性を一様に意識 する保証はない.電子的コミュニケーションの二面的性格は,対立要因の一つと考えられる.

電子的コミュニケーション手段が従来のコミュニケーション手段と大きく異なるもう一つの点は,出版や 放送などの一対多のコミュニケーションと,電話や手紙などの一対一のコミュニケーションをともに可能 とすることである.前者は公的なメッセージとして発信され,後者は公的なメッセージとも,私的なメッ セージとしても発信される.放送や出版など,従来の公衆への伝達手段は,放送局や出版者などの特定の 組織に伝達を制限する機能(ゲートキーパー機能)を与えていた.しかし,電子的コミュニケーション技術 は,普通の人にも公衆に向けた情報発信を可能とする.これは,Levinson が指摘するように,ゲート崩 壊という,社会的変化を生じる[Levinson 99].

そこでインターネットの出番だ.紙や装丁や配送や放送に関わるコストが一切かからない環境を創造した インターネットは,ウエブ・ページを持っているあらゆる人を出版社にすることで,ゲートを完全に崩壊 させる立場に立つことになる.

もちろん,出版社がもはやゲートキーパーとして機能しなくなった後でも,公の場所に提示されるメッセー ジは,他者の批判の対象になることを覚悟せざるを得ず,発信者の何らかの判断が加えられるであろう. すなわち,電子的コミュニケーションにおいては,発信者がゲートキーパーとしての役割も果たすことが 要請される.これを良く理解しないまま,公の場所にメッセージを送ったものは,予期しない反応に驚く ことになる.

印刷・出版を核とした社会関係の変動について,Bolz は,電子的コミュニケーションのリアルタイム性に 加えて,文字以外の表現も伝達可能であることを踏まえて,この技術が社会関係に大きな変化を与えると 述べている[Bolz 93].

この力によって,近代という新時代は<無関心の>計算が行われる舞台となった.つまり,言葉を印刷す る技術 --- 分節化・断片化・分析性・画一性・連続性・複製可能性・中央集権的組織といった活版印刷的 原理 --- はグーテンベルグ銀河系の理性モデルになってしまったのである.この銀河系の主体は,受動的 で,もの静かな読者である.
...
電子テクストの意味は,そのつど読んで利用する,という点にある.<書カレシモノハ残ル(Scripta Manet)>という原則はもはや通用しない.テクストの構造は動画的だ.つまり,電子文献はリアルタイム でしか存在しないのである.画面上の記号は,もはや伝統的な意味で活字(タイポグラフィー)的ではない.
...
メディア進化の各段階ははっきりしている.文書保管庫(アルヒーフ)としての書物からの訣別 --- 文字の 舞台としての紙からの訣別 --- 知の媒体(メーディウム)としてのアルファベット的文献的なものからの訣 別,以上三つの段階をふむ.ハイパーメディアは今日,マルチメディア素材をデジタル(離散)的にデータ 処理することによってまったく新しい記述の地平に到達している.計算機ベースを見れば完璧なまでのメ ディア統合の現状がわかる.コンピュータやヴィデオ,テクスト編集に画像処理などどれもみな同じ尺度 で比較できるようになった.リアルなもの(例えば音)やシンボル的なもの(例えば文字),想像上のもの(イ メージ群)が,表示画面上で統合される.... 紙のいらない情報形式という核エネルギーは,グーテンベル グの屋台骨を破壊する.

電子的コミュニケーションのリアルタイム性に注目すれば,その普及は,情緒的反応が支配するより不安定 な社会をつくり出すようにも思われる.しかしながら,電子的コミュニケーションで伝えられるメッセージ は,ハードディスクなどの電子的媒体に蓄積され,書物と同じように扱うこともできる.現実の電子的コミュ ニケーションの場において,いずれの機能が発揮されているかを調査することは,将来の社会を予測する上 で重要なヒントとなろう.

参考文献


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